こんにちは、プロデューサーのサトシです。今日はシーズン3-3の内容をお伝えします。
This is a very big problem
休学は大学1年の5月末。同級生には面白いことをしてくると言って出ましたが、本人の中では逆でした。全国大会に出るような同級生のほうがよほど誇れることをやっている、自分にはそれがない。そう思って外国に出たそうです。9ヶ月か10ヶ月の世界一周でした。
銃口を向けられたのは2回。1回目は検問で寝ていた軍人をまたいでしまい、驚いた相手が構えただけです。問題は2回目でした。
イスラエルの国境で、荷物からコンタクトレンズが大量に出てきます。ワンデイと2ウィークを10ヶ月分持っていたからです。当時その地域にワンデイが普及しておらず、転売目的だと疑われました。
アイジュ
ゆー通訳が呼ばれても話は進みません。1日で使い捨てるものと2週間使うものがあると説明しても、保存液を使うのだから1種類でいいはずだ、と返ってくる。よく見たら2人とも眼鏡をかけていなかったそうです。押し問答が続いて2時間。
出身を聞かれて東京だと答え、日本人かと確認されて、アラビア語でアナ・ヤバーニーと返しました。その瞬間に相手の目が変わり、パスポートを持ってこいと言われて、1分以内に解放されたそうです。売るか売らないかは、もう聞かれませんでした。
帰国後の大学生活は、空手部と旅とバイトです。家庭教師と塾講師で月に20万円稼ぐこともあった。旅の費用と、結婚の費用のためでした。卒業式のあとに指輪を買いに行って、そこでプロポーズしています。
英語を勉強したのは高校が最後で、あとは全部実地だそうです。文法はいまも分からないと言っていました。
LINEで、寝返りを知る
ゆーさんは初期研修から愛知に戻ります。愛知は市中の病院で初期研修と後期研修を続けて行い、力をつけてから大学に戻すという文化があるそうです。研修医が16、17人入る病院があちこちにある。
消化器内科に決めたのは研修2年目でした。指導医の雰囲気がよく、模型から始めて、鎮静下の患者さんで内視鏡をやらせてもらえた。あれが楽しかった、という記憶がはっきり残っているそうです。
小児科とはそこで分かれました。当時の研修医としての実感として、まず補液で経過を見て自然治癒力を支える診療に、自分が手を加えて治している感触を持てなかったと言います。小児科の先生が聞いたら怒りそうですけどね、と本人が付け足していました。
胃のESDを自分で完結できるように、大腸もある程度できるように。そう目標を置いて走っていたところに、子どもが生まれます。
ゆー
アイジュやりがいはあった、楽しかった、と何度も言っています。そのうえで振り返るきっかけになったのが、手元にない成長でした。