こんにちは、プロデューサーのサトシです。今日はシーズン3-4の内容をお伝えします。
見えてしまうと、つまらない
ゆーさんが投資を始めたのが2018年か2019年。子どもが生まれて何かやろうと思い立った時期でした。父親が仕事人間で、母親の愚痴を聞いて育ったので、そこは反面教師になっていたと言っています。
アイジュさんの投資はもっと軽い動機でした。50歳でもう一度世界一周する。その資金を医者以外の方法でも作れたらありがたい。それだけだったそうです。
診療科の選び方が面白かったです。
アイジュ
ゆー迷ったのは循環器内科でした。理由は不整脈です。目で見えないものを想像して、それが当たったときの感覚が好きだった。画像で一気に視覚化されるものにはあまり惹かれなかったと言います。
ただ、最後に残ったのは学問の面白さではありませんでした。結局は人と接しているほうが楽しい。医師と患者という線を引きながら、10年単位の長い関係を築く透析の世界が自分に合っている。父親が腎臓内科を選んだ理由が分かった気がして、腎臓内科にしたそうです。後を継ぐつもりでもありました。
このままでいいのかと思ったのは、2回だけ
アイジュさんは学生のうちに結婚を決めていたので、家庭を持ったことをきっかけに働き方を見直したことがありません。医者としてのキャリアが始まった時点で、すでに家族がいた。研修医の同期と飲みに行った回数は少ないほうだと言っていました。週2回は7時か8時に帰ると決めて、休みは家族で出かける。
奥さんは医療と関係のない仕事をしていて、医者は土日休みではないの、当直の次の日は休みじゃないの、とさらっと聞いてくる人だったそうです。それを一つずつ教え込んで対応してもらった。
だから、このままでいいのかと立ち止まったのは人生で2回だけだと言います。1回目は大学1年、旅に出たとき。2回目は、お母さんが亡くなったときでした。
全身にがんがあって、助からないと分かった。父親とは昔から馬が合わず、間をつないでいたのが母親でした。距離を取るのも一つの選択なんじゃないか、と背中を押したのは奥さんだったそうです。
アイジュ
ゆー継がずに海外に出たことは親不孝だと本人も言っています。ただ、送り出してくれた感謝があるから父親と絶交だけはしないと決めている、とも言っていました。
昔バックパッカーをしていた人と飲んだとき、医者のバックパッカーには何人も会ったことがあるけれど、18歳で世界一周した人には初めて会った、と言われたそうです。
次にこれくらいの衝撃が来るとしたら、家族が亡くなるときでしょうね。それを超えるものはもうない。