こんにちは、プロデューサーのサトシです。今日はシーズン3-2の内容をお伝えします。
僕、世間に流されやすいですね
前回の続きで、大学時代に入ります。まずゆーさんから。
水泳は大学でも続けていました。高校までのような選手コースではなく余力でやる形でしたが、それでも西医体の決勝に残るレベルで、4年生のときには部長です。例の幼馴染は、水泳部のない大学から個人で西医体に出て、練習できてないんだよねと言いながら優勝をさらっていったそうです。
志望科の変遷が面白かったです。入学した頃は総合内科に興味がありました。国が総合内科を育てようとしていた時期で、その流れをそのまま受け取っていた。ところがポリクリで回るうちに、そんなに広くカバーするのは無理だと気づきます。最終的に残ったのが消化器内科と小児科でした。口から肛門まで、あるいは子どもは全部、という広さが理由です。
ゆー
アイジュ診療科の選び方も率直でした。同級生の基準は、医局の雰囲気がいいとか、先生が優しいとか、早く帰してくれるとか。部活を続けたいから早く解放される科を選ぶ、というのは私も聞いたことがあります。
このまま乗り続けても仕方ない気がする
アイジュさんの高校時代は水泳ではなく鉄拳でした。格闘ゲームです。同好会を8、9人で作って、友達の家で朝6時まで合宿する。技の発生が60分の3秒か60分の9秒か、全部覚えていたそうです。部長は東大に行きました。
高2の冬から勉強を始めて、夏休みに偏差値が20から25上がったと言います。私立の医学部は大学ごとに癖が強くて、英語が60分で120問といった時間勝負の学校もあった。純粋に頭がいいと入れるのが国立で、少しひん曲がっていないと入れないのが私立だった、という言い方をしていました。
その旅好きの下地は学校にありました。中3の修学旅行でカナダ、高1の夏にカナダのビクトリアへ1ヶ月の短期留学、高2の修学旅行でニュージーランド。
そして大学1年です。同級生には剣道三段で全国大会に出た人や、一浪二浪して入ってきた大人びた人がいた。
アイジュ
ゆーゴールデンウィークが明けた頃、急に駄目だと思って1週間学校に行くのをやめました。気分がどう変わるか試したそうです。留学を調べ、ピースボートを知り、このまま乗り続けても仕方ない気がすると家で言いました。父親が何と言ったかは覚えていません。母親は、人生は長いんだから好きなことをしてらっしゃい、と背中を押しました。
自信がなかったから一人で行くことにした、と本人は言っています。出発は日韓ワールドカップの決勝が終わった直後でした。