こんにちは、プロデューサーのサトシです。今日はシーズン12-3の内容をお伝えします。
教授のコマとして、出向した
東大から来た先生が、この病院に来て驚いたのは科の壁の低さだ、と酒の席で言ったそうです。腎臓内科と循環器が同じ部屋でコーヒーを飲んでいる。他ではまず見ない、と。それでアイジュさんは、自分の医局が少し変わっていたのかもしれないと気づいたと話していました。
その壁の低さは実務でも効いています。医局員全員に学会発表をさせようという年があり、全員が出払うと当直が空く。教授は座長で動けない。残ったのは下から4人で、それでも足りない。そこで循環器の医局長に、透析当直をひとつお願いできませんか、と頭を下げに行った。いいよいいよ、で済んだそうです。逆に循環器の先輩が急に倒れたとき、バイトの穴を腎臓内科が埋めることもありました。
アイジュさんが大学を離れたのは2年半だけです。医局に人が少ないので、基本は大学にいる。その2年半が出向でした。
アイジュ
ゆー完全にコマですよね、と本人は言っていました。当時の助教授の目で行ってこい、と言われて、へい、と返して行った。そこで腎生検を始めています。できる先生が誰もいなかったからです。腹膜透析はもともとその病院の診療部長が熱心にやっていたので、そこは変わらなかった。自分の功績は腎生検を始めたことだ、と振り返っていました。
小さい医局は人を戻さざるを得ません。出向先の枠を臨時で作っても、人が抜けて閉じることがある。異動を繰り返す人は少なく、それは循環器のほうが多かったそうです。
大学院に入るタイミングも後ろにずれました。通常なら6年目か7年目で大学に戻って大学院生になるところ、最初の異動が7年目で、しかも市民病院へ。そこから戻るとなると8年目9年目になる。現場を回してほしい、という要望のほうが強かったのだろう、という見立てでした。だからひたすら臨床です。
研究から得られたものはない、と断言していました。臨床研究のファーストオーサーにはなっている。それでも面白いと思ったことは一度もない、と。
夜10時半に、通訳で呼ばれる
当直の話も出てきます。透析当直と内科当直を兼任していました。
内科当直は研修医を入れて4人ほど。そこへ救急が続くと手が離せなくなります。透析があるから9時半から10時半までは救急車を止めてもらう、というやりくりをしていた。それが公式に認められたのは、6年目か7年目に教授が病院長になってからでした。権力を振るってくれた、とアイジュさんは言っています。そんなに言うなら内科当直をやらせるな、で丸く収まった。
病院が渋谷の近くだったので、外国人の患者さんが来ることがありました。英語を話せる医師が珍しい時代です。
アイジュ
ゆー言葉が通じない、と言う。行ってみたら通訳をしろということでした。嫌だなと思いながら喋っていた記憶がある、と。ご飯は食べさせてもらえたそうです。
白い巨塔にあるような理不尽は、この病院では少なかったと言っていました。笑い話で済む上下関係がほとんどで、外科の先生方を横から見ていて理不尽だと思うことはあった、という程度です。
医局の色は、大学の名前だけでは分かりません。